「まだ早い」「もう遅い」って、だれが決めたの?
あなたは今まで、こんなことを思ったことはない?
「もう〇〇歳なのに、こんなこともできていない…」 「〇〇歳だから、そろそろ〇〇しないといけないかな…」
もしそう感じたことがあるとしたら、それはあなたが弱いわけでも、おかしいわけでもない。
実はほとんどの大人が、気づかないうちに「年齢のレール」というものの上を走らされている。
今日は、その「見えないルール」の正体について、いっしょに考えてみよう。
見えないレールの上を走っていないか?
たとえば、電車のレールを想像してほしい。レールの上を走る電車は、どこに行くか自分では決められない。決まったルートをただ進むだけだ。
じつは、人間の社会にも、そういう「見えないレール」があると言われている。
たとえば、こんなかんじ。
「20代のうちは、とにかくがんばって経験を積まないとダメ」 「30代になったら、仕事を安定させて落ち着かないと」 「40代は家族や部下のために責任を持たないといけない」 「結婚は〇〇歳までにしないと遅い」
…でもちょっと待って。
これって、だれかに「そうしなさい」と言われたルールじゃないよね? 法律で決まっているわけでもない。教科書に書いてあるわけでもない。なのに、なぜかたくさんの人が、このレールの上を走っている。
これを**「空気のルール」**と呼ぼう。文字には書いてないけど、なんとなくみんなが知っていて、それに従ってしまうルールのことだ。
「空気のルール」ってなに?
小学校のクラスでも似たようなことはないかな?
「この席ではあの子とは仲良くしちゃダメな空気」とか「この遊びをやりたいけど、なんとなく言い出せない空気」とか。
だれも「そうしろ」とは言っていないのに、なんとなくそういうムードになっている状態。大人の社会でも、同じことがものすごく大規模に起きている。
「年齢のルール」はまさにその代表例だ。
「20代のうちにたくさん苦労しておかないと」 「30代で転職は遅すぎる」 「40代で新しいことを始めるなんて…」
こういう言葉を聞いたり、自分の心の中で思ったりした大人はとても多い。でも、その「ルール」の根拠はどこにあるんだろう?
世界を見ると、ルールが違う
面白いことがある。
日本では「年齢」がとても重要な基準になっている。「〇〇歳なんだから」「年上だから」「もうその歳では…」という言い方をよくする。
でも、多くの外国では、話が違う。
たとえばアメリカやヨーロッパの多くの国では、就職や転職のとき、年齢よりも「あなたには何ができますか?」を重視する。30歳でも50歳でも、「できること」「実績」「アイデア」があれば評価される。
逆に言うと、いくら年上でも「実力がない」と判断されれば、若い人の下で働くことにもなる。
これはどちらがいい・悪いという話ではなく、「価値観が違う」ということだ。
日本の「年齢をうやまう文化」にも、長い歴史の中で生まれた良さがある。一方で、「年齢だけで判断されてしまう苦しさ」も確かにある。
大切なのは、「自分が今いる社会のルールが、世界のすべてではない」と知ることだ。
おかしいな、と思わないか?
ここで、ちょっと変なことに気づいてほしい。
日本は「年齢のルール」がとても厳しい社会だ。「その年齢でそれはおかしい」と言われやすい。
でも一方で、「年上の人が必ず尊重されているか」というと、そうでもない。
「おじさんは古い考えだ」と若者にバカにされることもある。「年功序列は終わった」と言われることもある。「定年後は居場所がない」と悩む人もいる。
つまり、「年齢で人を判断する」くせに、「年上を大切にする」とは限らない、という矛盾がある。
これはとても変なことだよね。
年齢のルールで縛られる割に、年齢そのものが守ってくれるわけじゃない。じゃあ、その「ルール」って、いったい何のためにあるんだろう?
その基準は、本当に「自分のため」か?
ここが、いちばん大切なポイントだ。
「30代で安定しないといけない」「〇〇歳までに結婚しないと」
こういうことを言うのは、「世間」というあいまいな何かだ。具体的な顔もない、名前もない、「なんとなくのムード」が言っている。
そして、もし「世間のルール」に従って、自分のやりたいことを我慢して、自分が不幸になったとしても、「世間」は責任を取ってくれない。
当たり前だけど、ものすごく重要なことだ。
「世間」は責任を取らない。
だったら、その基準に振り回される必要なんて、本当にあるんだろうか?
「自分の軸」で生きるって、どういうこと?
「自分の軸で生きる」と言うと、なんだかかっこよく聞こえるけど、むずかしく考えなくていい。
シンプルに言うと、こういうことだ。
「世間がどう思うか」より先に、「自分はどうしたいか」を考える。
たとえば、こんなかんじ。
転職を考えているとき、「35歳での転職は遅い」という世間の声があったとしても、「自分は今の仕事が好きじゃないし、やってみたいことがある。だからチャレンジしよう」と決める。
新しい趣味を始めるとき、「大人になってからピアノを習うなんて」という目線があったとしても、「自分がやってみたいから始める」と決める。
結婚のタイミングも、「世間の適齢期」より、「自分とパートナーが本当に一緒にいたいと思えたとき」を大切にする。
こういう選択を積み重ねることが、「自分の軸で生きる」ということだ。
忘れないでほしいこと
最後に、大事なことを3つまとめておく。
① 「年齢のルール」は空気であって、法律じゃない。
「〇〇歳ではこうすべき」は、だれかが決めた絶対的なルールではない。社会の「なんとなく」から生まれた空気だ。空気は変わるし、場所が変われば消えてしまうこともある。
② 世界は広い。価値観はひとつじゃない。
日本では「年齢」が重視されやすいが、世界の多くの場所では「何ができるか」が重視される。自分がいる社会のルールが、唯一の正解じゃない。
③ 世間は責任を取らない。だから自分で選ぶ。
もし「世間の期待」通りに生きて、それで不幸になっても、世間はなにも助けてくれない。自分の人生の責任を取れるのは、自分だけだ。だからこそ、選ぶ権利も、自分の中にある。
年齢に縛られず、「自分はどう生きたいか」を問い続けること。それが、世間の空気ではなく、自分の軸で生きるということだ。
「まだ早い」も「もう遅い」も、結局はだれかが作った幻想かもしれない。あなたにとっての「ちょうどいい時」は、あなた自身が決めていい。


